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無職の雑記

Garbage in, garbage out.

2017/03/26

図書館で勉強。捗る。今日はベイズ・ルールと、連続型確率分布のところを。ベイズ・ルールは存外、単なる計算問題だった。「モンティーホール問題」も、少しは腑に落ちた。

2月下旬から精神的に迷走してたが、復帰した。また頑張ろう。必要は本は買うこと。電子書籍でなく、紙の書籍を。以前、紙の書籍を裁断して電子化してくれるサーヴィスを使ってたが、結局、読まなかった。

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100円パン屋でカロリーのような甘いパンを買う。見えやすい場所にバイトの求人が貼ってあり、820円とある(以前に比べ、少し上がった気がする)。あまり、求人の広告をその種の場所に貼らないで欲しい。この店員さんは1時間820円で買えるのか、という気がしてしまう。

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2017/03/25

伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』。これは美しい。

定義通りに理解している、という点で興味深いのは、見えない人の色彩の理解です。

個人差がありますが、物を見た経験を持たない全盲の人でも、「色」の概念を理解していることがあります。「私の好きな色は青」なんて言われるとかなりびっくりしてしまうのですが、聞いてみると、その色をしているものの集合を覚えることで、色の概念を獲得するらしい。たとえば赤は「りんご」「いちご」「トマト」「くちびる」が属していて「あたたかい気持ちになる色」、黄色は「バナナ」「踏切」「卵」が属していて「黒と組み合わせると警告を意味する色」といった具合です。

ただ面白いのは、私が聞いたその人は、どうしても「混色」が理解できないと言っていたことでした。絵の具が混ざるところを目で見たことがある人なら、色は混ぜると別の色になる、ということを知っています。赤と黄色を混ぜると、中間色のオレンジ色ができあがることを知っています。ところが、その全盲の人にとっては、色を混ぜるのは、机と椅子を混ぜるような感じで、どうも納得がいかないそうです。赤+黄色=オレンジと言う法則は分かっても、感覚的にはどうも理解できないのだそうです。(pp.68-9)

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2017/03/24

図書館で勉強。それなり捗る。しかし前より視力が更に落ちている。気力以前の身体的な部分の劣化を感じると、真面目に勉強するにもタイムリミットが迫っている感じもなくはない。1時間半、2時間、同じ姿勢を保って集中して勉強できる時間が、人生にはあまり残ってないかもしれない。

残り時間、ということを考えた場合、私はやっぱり仕事より勉強のほうが重要だと思う。図書館の入口には警備員が立っており、私は警備の人を見るといつもその顔を見ておくことになっている。落ち窪んだような退屈。誰もそうは言わないが、警備の仕事は精神的な虐待に近い。中年、年寄りだからーー彼らにその価値が無いからーー誰もそれを同情的に記述しないが、あれは(も)虐待なんだよ。非人間的なんだ。そして私が働くってことは、その種の環境に自分を置くということだ。働くことが大層なことである、という幻想は不要だ。もちろん大層なことであるような仕事はある。やりがいというのも、否定しようとは思わない。しかし、私にはそれは無縁だ。だから働くことーーそれに価値があるかのような言説ーーに惑わされないこと。それには価値がない。

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読了。

試行錯誤に漂う

試行錯誤に漂う

デレク・ベイリーの言葉を引用。

第一に、仕事であれ何であれ、自分のやりたいことは、ほかには絶対に何もないと分かった。その頃ーー説明は難しいけどーー本当にやりたかったのは練習だね。ただただ、演奏し続けることが自分にとっていかに大切か、それが分かったんだ。それまでも定期的に練習はしていたんだけど、たいていは何か技術的なことで、この技をマスターしようといった具体的な目標があった。でもこの時期から、もっと広い意味での練習というものに興味が湧いてきたんだ。そのあたりから、今でもそうなんだけれど、練習はありとあらゆる目的にかなうものだと思うようになった。つねに作業をして、成長する。そんな、個人としての音楽環境として、練習は重要だよ。それは触覚の問題として考えるとするなら、まさにこれだ! とピンとくるときがある。

あと以下を100ページほどを読んで返却。

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

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