無職の雑記

Garbage in, garbage out.

『独身・無職者のリアル』

独身・無職者のリアル (扶桑社新書)

独身・無職者のリアル (扶桑社新書)

を読んだ。社会学者とひきこもり支援者の共著。

社会学者の方は、戦後の「学校・企業・家族の三位一体」が解体中していくなかで、自由ーー縁からの解放ーーが生じていった一方、自由の反面としての選択の責任ーー自己責任ーーが問われるようになったこと、及び縁からの開放の結果として社会・共同体に包摂されずに孤立していく人間(無縁)が増えていっていることを、手短にまとめている。ひきこもり支援者の方は、SNEPーーまあ、孤立した失業者ということなんだけどーーの当事者4人のインタビューとその分析、またひきこもり支援で見える景色を、共感的に書き綴っている。

そんな本なんだけど、内容的には中途半端で、あんまり一般的に読む意味はない気がする。読むなら、湯浅誠さんの『反貧困』でいいと思う。湯浅さんのほうが100倍明晰だし。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

でも自分にとっては、意味があった。改めて、労働市場で頑張ろうとすることはナンセンスだなと思えたので。

労働市場において、自分の履歴(経験)と年齢では、現状せいぜい手取り15〜20万程度の値段しか付かないし、これは今後上がることはなくジリジリ下がっていく。下がっていって、それが最低賃金を下回るレベルになると、論理的にいって雇用されることがなくなる(最低賃金以下の価値しか産めないのに、最低賃金で雇うと、常時赤字ということになるので雇うことはナンセンスである)。そのあとでも雇われようとするならブラック・マーケットとか、そんなことになる。つまり、労働市場にしがみついても惨めになっていくだけ。労働市場で商品であろうとすることは私にとっては無駄な苦闘で、意味がないと思う。

(価値がゼロならさっさと福祉に頼るのが正しい。価値の無い人に、価値を売れというのは不可能な要求なので不条理でありイジメだ。誰であれ大抵は60や65にもなれば価値がゼロであることを通知されるーー定年するーーのだから、それより前に価値がゼロになっても不自然ではないし、むしろ、60や65まで価値を持っている事のほうがフィクションだ)。

なので、私は代わりに別の市場で頑張ることにしたい。株とか、先物とか。あるいはネット経由の小銭稼ぎとか。私はそっちに賭けるために、無職になったのだ。