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無職の雑記

Garbage in, garbage out.

「じゃがいもと挽き肉のそぼろ煮」を作った

cookpad.com

  • 美味しかった。ただ、もう少し具に多様性が欲しい気もする(基本的に、毎回1品しか作れないので、1品で完結させたい)。

  • 「水溶き片栗粉」というものをはじめて使った。微妙なとろみらしきものは付いた。「ダマ」には(たぶん)ならなかった。クックパッドのこの記事を参考にした:

cookpad.com

  • でも、「水溶き片栗粉」に限らず思うのだけど、「この分量でやった方が良い」という分量しか基本、入れたことがないので、分量の変化による結果の変化を学ぶ機会がない。「酒」とか「みりん」を入れる分量を変化させるとどうなるのか、そもそも酒ってなんで入れてるのか、実は全く知らない。

  • ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』で、表現の自由を擁護してるけど、その理由として、

    • 私たちは間違えるし、

    • 私たちが正しいとしても、相手の言い分にも良い点があることがある。

    • だから表現の自由は重要なんだ。

  • と言ってる。以前読んだとき、それはそうだよなあと思った。でも、上記だけだと、私たちが正しくて、相手の言い分がクソすぎる場合には、表現の自由なんて要らなくね? っていう話になってしまう。だからミルはそれに応える形でこんなふうにいっていた(たしか):

    • 確かに相手の言い分がクソすぎて、もう表現の自由に値しないって思えることはあるかもしれない。でも、そういうクソすぎる意見でさえ、私たちの風景から一掃されてしまったなら、きっとその分私たちは自分の正しさの理由を考えることがなくなってしまうだろう。そして、正しさの理由を考えることがなくなってしまえば、それはもはや皆が信じてるから信じてるような偏見と区別のつかないものになってしまうだろう。

    • だから、相手がクソでも、やっぱり表現の自由は重要なんだ。

  • 以前読んだ時は、これにはあまり説得されなかった。なんか、単に論争好きな人の趣味なんじゃないだろーか、と。でも、「調味料問題」で、確かにその合理的な根拠を知っているのは重要だわ、と少し納得してしまった次第。表現の自由、っていうかレシピや味付けの自由は重要だし、その自由による失敗もまた、重要なのだ。と、

  • 変な自炊記事になってしまった。

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)