読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

無職の雑記

Garbage in, garbage out.

3月11日

  • 迷走してるな。それ以外の予定があったわけでもないけど、このまま金が尽きたら普通に働くのか。普通に働くって言っても、末端の警備員ではあるし、それは「普通に働く」なのだろうか。ビルメンをやっていた時に、これって働いてるに入るんだろうかと、酷く疑問だった。単に何もせずに待機していることが、なぜか「働いてる」扱いされ、なぜか賃金が出る。こんな奇妙なことが「働く」だなんて思ってもみなかった、と思った。まあ、ビルメンとかは社会の安定した最底辺ではあり、多少特殊な気がするが。最底辺の人間には搾取する価値さえないので、「社畜」という言葉も無縁だ。それは搾取されるだけの価値のある人間のための言葉ーーそれにある日気づいて、驚いた。「社畜」っていうお喋りがまさか高級品だとは思わなかったので。身の程を知れ。

 ・・・

  • 日経平均先物で、サーキットブレーカーが発動したのは2011年3月15日だった。自分にとってあれが、原子炉建屋がふっとんだとか以上に、世界の底が割れたかのように感じられた瞬間ではあった。

  • が、「世界の底が割れた」ように感じたのは、買いからだけ相場を眺めていたからで、当たり前ながら相場は売りからも入れる。すると光景は変わる。先物が底に張り付いていた恐ろしい時間は爆益の幸福を意味することになる。恐怖で硬直し、買いを入れられない多くの主体とは異なり、売りポジ主体は平然と買いを、利益確定の買いを入れられる。結局、その種の買い戻しが、相場が極端へと走ることを抑制するのだし、人に平常心を戻させるものでもある。「世界の底が割れた」とか、錯覚だからね、と。相場は明日も明後日も変わらずあるんだよ(しかし原子炉の帰趨によってはそうでなかったーー「東証」とか存在しなかったかもしれないーーっていう強烈な出来事の後、それを忘れているのは、やはり奇妙なことだとは思うけど)。

  • 社会における「売りポジ」ってなんなのだろうと、たまに思う。価値観の多様性は重要に違いない。けれど、それは弱いように感じられるーー3月のあの日の後に引き続いた「自粛」的な空気を思い出すと、価値も哲学もクソみたいなものでないかと思われる。スーパーには品物がなかった。9月11日のテロからイラク戦争に突っ走ったアメリカを、愚かだと思ってたし、ブッシュは馬鹿なのかもしれないが、「自粛」的な空気を参照するとそれを愚かであると、馬鹿であるという指摘自体が、説得力を持たないように感じられ出す。中井久夫さんのアメリカの友人が「9月11日の後に私が口走った愛国的戯言は全て忘れてくれ」とある時言ったそうだけれども、「戯言」、その手の戯言に対するいわば売りポジ的なものって、何なんだ。

広告を非表示にする