無職の雑記

Garbage in, garbage out.

2016/03/18

  • 外に出たら雨が降っていたので、マクドナルドに行くことにした。

  • 店員さんは、マクド的笑顔を貼り付けたような女の子で(って何)、「カードって使えますか」って聞いたら、早口で複数の選択肢を滞りなく述べたのだけれど、ごめん、聞き取れない。が、VISAとか一言も言ってくれなかったので多分、電子マネーしか無理なんだなと思って財布を確認し、100円あった、というわけでコーヒーを買う。

  • 客席は平日の夕方ということもあり、学生という感じの人ばかり。立地的にも確かにこの辺は学校が多く、この時間は作業場として使うのは厳しい感じはあった。

  • 今日、外に出た目的は、昨日読んだ、ジョージ・レイコフという認知言語学者の「トランプ現象」についてのエッセイをもう一度読みなおし、ノートを取ってみることだったので、それをやった。20分くらいで終わった。手書きでノートしてみるとか、ほぼしたことがないのだけれど、ノートしてみると、構造とか(読むだけに比べると)よく分かるんですね。ほんと、今更ですけど。あと、手書きはPCの横にしか行けない、という制約がないのも良いかと思ったし、あんまりたくさん書きたくないんで、自然と要約することになるのも良いと思った(こういうのは、「学習法」的な文章で何度も読んだことはあったんですが)。

 ・・・

  • 坂口恭平躁鬱日記』を少し読む。「躁」の時の坂口さんの日記は出来事と色に溢れている一方、「鬱」の時の日記はーーこれ、おれの日記か、というような、外部が見えなくなり内へ内へと潜り悪循環していくような文章になっていて、なんとも言えない。自分はデフォルトモードが坂口さんの鬱の時の日記なのだが、自分は鬱でない。自分の日記に出来事や色がないのは、それが鬱的思考により知覚できないからでなく、実際にそれがないからだと気づいた。知覚が鬱なのでなく、そもそも世界が鬱なのだ。つくづく、世界の豊かさはその人の能力・スペックに相関するものだ、と感じる。
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