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無職の雑記

Garbage in, garbage out.

2016/03/19

朝、また(たぶん)左隣の部屋で工事をしており、爆音で起こされるが気合で布団にもぐる。右隣の住人が管理人を呼び出し、超うるさいんですけど、とクレームを付ける(説明を求める)のが薄っすらと聞こえた気がするが、そこで意識が途切れて結局13時起床。

起きてからニュースやRSSフィードのたぐいを見ない、というルールを昨日設定した。途方に暮れた。とりあえず記事なりニュースなりを読むのが日常だったので。仕方なく『坂口恭平躁鬱日記』を読んで、読み終えてしまった。

坂口恭平って人が天才であるってのがまざまざと分かる。特にベルリン滞在時の日記の飛ばしっぷりなんか、ほとんど誰も追いつけないんじゃないか。でももしかしたらそれ以上に凄いのは、この天才=狂人の坂口恭平の奥さんである「フー」さんで、独立国家坂口恭平がどんな恐慌(鬱)に陥り荒廃しようと、そんなのいつもの景気循環だよくらいに受け流す、その言葉と見通しの強さったらない。バブル(躁)と恐慌(鬱)しかなく平時というのが存在しない坂口恭平とガッツリ、相方として付き合うことの大変さって、この日記の走りっぷりからも分かるってもんだけど、いや、凄いなと。フーさんがいなかったら、坂口恭平の狂気は天才に変換されず、狂気のまんまだろう。あと、もちろんこの本の重要キャラクターである、この日記内で4歳から5歳になる娘の「アオ」ちゃんも、面白い。日記の初期では、まだ言語が流暢でないからだろうけれど、ほとんど別のレイヤーから不意に落ちてくる詩みたいな言葉を日常的に吐く存在として記述されているのに、後半になると非常に実利的な存在に落ち着いていくのがおかしい。他にも、坂口さんが通ってる精神病院の先生とのやり取りも面白く、アオちゃんを乗っけて走る自転車だけでパーフェクトで、もう完璧なんじゃないかと。というわけで、保坂和志『遠い触覚』とともにもう一度読む。

結局、外出する機会を逸した。

22時頃、スーパーに行って、『坂口恭平躁鬱日記』の鬱期の日記が自分の日常のブログに類似しているのを、改めて思った。外部の対象に興味がなく、何の行動も起こさず、ただ同じ場所を曖昧な言葉がグルグルと互いのしっぽを追いかけているような、酷く退屈な感じ。今書いているようなのもそうだが、もう少し外部の対象と行動にフォーカスして記述することを心がけよう。神経物質的にいえば鬱じゃなくとも、文章(の癖)が鬱的なのは良いことだとは思われない。(というような感じの文章が、鬱期の坂口恭平の文章である。ほんと、鬱の時の光のなさーー芸術家じゃなく単なる無職になっちゃったような感じ、は、それはそれで変に教訓的なので、この辺も実は読みどころ)。

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

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