無職の雑記

Garbage in, garbage out.

エリック・ホッファー『大衆運動』

大衆運動

大衆運動

を読んだ。この本には古くなった部分と、そうでない部分がある。

そうでない部分は、自分の人生が損なわれたと思う人間が抱く感情と、それゆえに惹かれてしまう発想について記述している部分。古くなった部分は、そうした損なわれ、欲求不満に陥った人たちが集団をなし、実際に社会・世界を書き換えようとする動き(大衆運動)にまで至る、というそのリアリティの部分。(このリアリティが消えていった過程については、最近古谷利裕さんが「虚構世界はなぜ必要か?」という文章で書いている、説得力のある夢(フィクション)の余地が縮小している、という診断と直に接することかなと思う)。

個人的なことを言えば、自分は人生に失敗しているし、だからこの本に登場する言葉は、微笑むというか、そういう感じで、楽しい。

現在を非難する大衆運動の態度が、欲求不満をもつ者の意向を支持することは明らかである。欲求不満をもつ者が、現在とそのあらゆる産物を非難するとき、彼らが非常に喜ぶことには誰でも驚かされる。このように彼らが喜ぶのは、不平を漏らすのが嬉しいからだけではけっしてない。[…]欲求不満をもつ者は、その時代の下劣さと堕落とが救い難いものであることを長々と述べ、それによって、自分たちが失敗し孤独であるという感じを和らげるのである。彼らはまるでこういっているかのようである。「われわれの傷つけられた自己だけでなく、もっとも幸福な、もっとも成功した人をも含めて、われわれの同時代の人の生活はみな、無価値なものであり、浪費である。」このように、現在を非難することによって、彼らは、対等の立場にあるという漠然とした意識を獲得することになる。(p.85)

それと同時に、この本をホッファーが出版したのは51歳の時で、彼がその当時港湾労働者だったこと、それ以前には長く20代の終わりから40代中盤まで日雇い労働者として大恐慌のアメリカ全土を放浪していたこと、などを思う。彼はこの本を、どんな感情とともに書いてたんだろうな、って。

彼の文章は全て圧縮された箴言調だけれど、それは多分、彼が肉体労働者だったことに由来する。仕事に疲れすぎて彼は、長い文章を書くことができなかった。彼の『波止場日記』なんかも、文筆家の日記としてはほとんど例外的に毎日の記述が短い。(『波止場日記』、とてもとても良い本です。値段を除けば。愚痴ですが、私には彼の日記に4000円近い値段をつけて売るのが正しいことだとは思われないんですよね。彼の日記は4,000円を簡単に支出できるような人のための本じゃないんです、どう考えても)。