無職の雑記

Garbage in, garbage out.

現実

両親はまだ生きているが、まあ、いつ死んでも意外ではない程度の年齢に差し掛かってはいる。一般的な人生を回避し続けてきたけれど、どう回避したって死ぬものは死ぬ。

と、書いたのは、あまり記憶にない親戚が死んだとメールがあったからで、メールで初めて、その名前の漢字を見た。こんな字だったんだな。名字ってなんだっけ。

自分の人生はまるごと失敗だったし、無かったら良かったと、私自身は思わないが、親にとってはそうだろう。その「失敗者=私」の観点から見れば、うちの親は「家族」を形成することにそもそも失敗したようにしか思えない。友人も知人もあまりおらず、趣味のようなものもない、単なる不安神経症の人間に思える。でも、もちろんこれは偏った見解ではある。彼らには彼らのよく分からない主観があり、私はそれを知らない。よく本に自伝とか、家族の物語とかあるけれど、ああいったのは凄いと思う。私の家族には空欄しかないように感じられる。もちろん、偏った見解ではある。今のうちに、親に話を聞いておいたほうが良いのだろうかーーテーマはよく分からないが。でも、それを考えたときに不安になるのは、「本当になにもないかもしれない」ということで、そうだったら、どうしたら良いのだろう。それが空白だった場合の正しいリアクションって?

20歳のときには、親が死ぬことを考える必要はなかったし、衰えを考える必要もなかった。自分自身のそれもやはり考える必要がなかった。

何もかもから逃げようとしても、人は死ぬし、自分だって死ぬ。死ぬのは経験的な事実だから、死なない人間が不意に登場しても良いし、それが自分でも良いわけだけど、それは死ぬこととあまり区別が付かない。

自分は不安だったから回避してたんだろうか、それとも単に面倒だったからなんだろうか。その辺が、最近よく分からない。

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