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無職の雑記

Garbage in, garbage out.

変に捗る

昨日の21時起床。Pythonの写経と読書を交互にしつつ、今日の昼。体力が切れ2時間仮眠。読書、線形代数のテキスト。

変に捗った日だった。明日もそれなりに、捗るだろう。

 ・・・

気まぐれな引用。『大佛次郎敗戦日記』より。

主婦の友」の最新号を見ると表紙のみか各頁毎に「アメリカ人を生かしておくな」と「米兵をぶち殺せ」と大きな活字で入れてある。情報局出版課の指令があったのを編輯者がこう云う形で御用をとつめたのである。粗雑で無神経で反対の効果を与える危険に注意が行きとどいていない。つまり事に当った人間が粗末なのである。我が国第一の売行きのいい女の雑誌がこれで羞しくないのだろうか。日本の為にこちらが羞しいことである。珍重して後代に保存すべき一冊であろう。日露戦争の時代に於てさえ我々はこうまで低劣ではなかったのである。(『大佛次郎敗戦日記』、1944年11月18日)


文藝春秋太陽社などは空襲警報が出ると階段を降り地下室の倉庫へ集って雑談している。女の子などは悦んでいると云う。花房満三郎が勇ましく事務室に残って鉄兜をかぶって留守していたが爆音を聞くと可怖くなって駆け降りて来たそうである。頭上に落ちるような感じがあると云う。(1944年11月29日)


久米正雄、仕事をしないのを詰られ、いや僕は間違って小説家になったのだと云う。(1944年12月12日)


東京では赤飯にらっきょうを一つ入れて喰うと弾よけになるという流説がぱっとひろがり迷信せられていると。幕末か明治初年の話としか考えられぬ。駒沢へ出入りの植木屋が真面目でそれを話した。世田谷で二貫五百もあり歯も生えた赤ん坊が生れ、右のことをいうと直ぐ死んだ。埋葬したが気になるから掘って見たら何もなくなっていた。この形の話が東京中で場所がそれぞれ変って伝えられている。らっきょうのない時は梅干一個というそうである。(1945年3月25日)

伊勢田哲治『動物からの倫理学入門』より。疑わしきはーー:

しかし、もしフレイのような議論が最初から動物を配慮の対象から除外するという結論が決まった後付の議論でないなら、大型類人猿の言語能力の証拠には敏感にならざるをえないはずである。そういう意味での利害を大事にするなら、本当は利害を持っていない大型類人猿を間違って配慮の対象にしてしまう、というタイプの間違いより、本当は利害を持っている大型類人猿を間違って配慮の対象から除外してしまう、というタイプの間違いを避けようとするだろう。実際、昨今の動物の権利運動の中でも大型類人猿は特別な位置を占めていて、人類には5つの種がある(つまり大型類人猿はすべて人類と考えた方がよい)、という言い方をする動物の権利運動家もいるし、大型類人猿については実験対象にすることを全面禁止するという法律ができた国もある。ついでに、こうした観点から大型類人猿としばし同列に扱われるのがクジラやイルカなどクジラ目の動物である。これらの動物も複雑な言語を持っているらしき証拠がいろいろあり、権利主体になりうるかどうかを言語能力で判定するなら、これらの動物にも権利を認めなくてはならない。日本人に捕鯨反対運動が不可解に見えるのはそういう議論の背景がすっぽりぬけおちているからかもしれない。(伊勢田哲治『動物からの倫理学入門』、p.73)

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