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無職の雑記

Garbage in, garbage out.

週記(12/12〜18)

今週は28時間35分勉強していた。

読んだ

〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義

〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義

これは大きな問いだなあ。

最後通牒ゲームでわかったように、人は自分が損してでも非協力者を懲らしめようとする。一回きりのゲームだからといって容赦はしない。それに懲罰が行われないと、集団の大小にかかわらず「ただ乗り」する者が出現し、協力関係が破綻することは理論モデルと実証的証拠の両方で立証されている。協力的な集団を維持するには、ただ乗りに罰を与えなくてはならない。集団のネットワークから説明責任を取りさったら、集団自体が瓦解する。だが処罰なしに責任を果たせるか? ゲノムレベルではその重要性は了解していても、それ以上のところまで行けるのか、行くべきなのか。最後通牒ゲームのただ乗り屋とか、社会集団の規則に従わない者を罰する話になると、人間は自らを飼いならしてきたというトマセロの説がよみがえってくる。能力剥奪(生命を奪う、追放するなど)という罰があることで、その対象にならないよう、みんなが協力しあうようになったというのだ。けれども、能力剥奪をしないと非協力者がのさばり、社会は崩壊するのだろうか?(マイケル・S・ガザニガ『〈わたし〉はどこにあるのか』、p.268)

本を書く

本を書く

ある日私は、ブラインドを永遠に閉めた。ベネチアン・ブラインドを下げ、ブラインドの羽を平らにした。それから電気をつけて、閉めたブラインドの上に私の描いた絵を張った。その絵の中に窓から見える景色があった。牛、駐車場、そして空。もし世の中が見たかったら、このペンで描かれた線画を見ればよいのだ。私に技術があれば、下げたブラインドにじかに描いたのだが。そのブラインドが隠したものすべてを、実物のように精密に模写したのだが。でも、そのかわりに、私は書いた。(アニー・ディラード『本を書く』、p.15)

「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」というタイトルのサイトがあるけれど、この本は、自分にとってのその手の本かもしれない。

雑記

何度目の正直ですか、という感じだけれど、微積分を勉強している。今回は英語の本でやっているので、不思議な事も起こる。本の中で、「differentiation」という単語が登場して、文字通りに読めば「差異化」という意味だが「差異化」ってなんだろう、と読み進めて数ページーー「あ、これ微分のことだ」。

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