読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

無職の雑記

Garbage in, garbage out.

2017/03/24

図書館で勉強。それなり捗る。しかし前より視力が更に落ちている。気力以前の身体的な部分の劣化を感じると、真面目に勉強するにもタイムリミットが迫っている感じもなくはない。1時間半、2時間、同じ姿勢を保って集中して勉強できる時間が、人生にはあまり残ってないかもしれない。

残り時間、ということを考えた場合、私はやっぱり仕事より勉強のほうが重要だと思う。図書館の入口には警備員が立っており、私は警備の人を見るといつもその顔を見ておくことになっている。落ち窪んだような退屈。誰もそうは言わないが、警備の仕事は精神的な虐待に近い。中年、年寄りだからーー彼らにその価値が無いからーー誰もそれを同情的に記述しないが、あれは(も)虐待なんだよ。非人間的なんだ。そして私が働くってことは、その種の環境に自分を置くということだ。働くことが大層なことである、という幻想は不要だ。もちろん大層なことであるような仕事はある。やりがいというのも、否定しようとは思わない。しかし、私にはそれは無縁だ。だから働くことーーそれに価値があるかのような言説ーーに惑わされないこと。それには価値がない。

 ・・・

読了。

試行錯誤に漂う

試行錯誤に漂う

デレク・ベイリーの言葉を引用。

第一に、仕事であれ何であれ、自分のやりたいことは、ほかには絶対に何もないと分かった。その頃ーー説明は難しいけどーー本当にやりたかったのは練習だね。ただただ、演奏し続けることが自分にとっていかに大切か、それが分かったんだ。それまでも定期的に練習はしていたんだけど、たいていは何か技術的なことで、この技をマスターしようといった具体的な目標があった。でもこの時期から、もっと広い意味での練習というものに興味が湧いてきたんだ。そのあたりから、今でもそうなんだけれど、練習はありとあらゆる目的にかなうものだと思うようになった。つねに作業をして、成長する。そんな、個人としての音楽環境として、練習は重要だよ。それは触覚の問題として考えるとするなら、まさにこれだ! とピンとくるときがある。

あと以下を100ページほどを読んで返却。

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

広告を非表示にする