無職の雑記

Garbage in, garbage out.

雑記

カジュアルに鬱になってしまった。鬱でも東京には明日帰るし、用事は済ましてくるけれど。

いつ寝てるのかよく分からなくなってしまった。深夜、買い物に行ったりする。「そうめん」をみて、夏がくる。結局一人暮らしを始めてから、自分はまったく何もできなかった。今後の人生についての自動的な推論を書こうとは思わない。

冬から春にかけて、数学を勉強しようとしていた。結局、大学レベルのイントロのイントロにはじかれた。望んでたのより随分、手前。別に数学に興味がある訳じゃない。物理にも興味はない。人間的なことに興味がある。文系なんだ。動物や虫を見て興奮するような質でもない(人間の行動の隠喩としてのみ、虫や動物に興味を持てる)。

脱落して、目標とか目的を見失ってしまったようにも思う。きっと、もっと具体的にならないといけない。小さいノートを買う。「洗濯」と書く。洗濯しようとして、3日、滞ったまま。コインランドリーの100円がなかった。100円を作るには何かを買わないといけなくて、何も買えてさえいなかった。

社会不安障害とか、鬱の行動療法のワークブックを見ても、役に立たなかった。そこに登場するサンブルの人びとは、総じてわたしよりも普通だ。自分は病気だったんだと初めておもった。不安が強すぎ、それがほとんど人生に全域的に、破壊的な仕方で作用してるのは、あきらかだ。不安が強いから、その自己規定の妥当さをめぐってさえ、不安になる。でも、それはあきらかだ。わたしは病気だ。

エリック・ホッファーの、『波止場日記』の原著、"Working and Thinking on the Waterfront”を数日分、写経した。それから彼についての評伝、"American Iconoclast: The Life and Times of Eric Hoffer” をよみはじめた。ホッファーは自伝で、ドストエフスキーの『白痴』に言及している。盲目だった子供時代、彼は父親に「白痴の子供」と呼ばれたことがあり、その記憶が彼に『白痴』を手に取らせた。最初に読んで以来毎年読むようになった、と彼は自伝に書いている。わたしは、この評伝を読むまで、「白痴」という文字面だけの関連性だとしか思ってなかった。『白痴』をよんだことがないし。でも、『白痴』はホッファーの人生やその立ち位置の隠喩とも考えられるようだ。(それにしても、この本は訳されることはないだろうな・・・。ネイティブ向けの本は、わたしにはむずかしすぎて辛い。)